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最近は、MIXIとこのブログと両方に日記を書くようにしていますが、
今日は、同じ日記を掲載します。 船場「吉兆」が、産地偽装や使いまわしで廃業に追い込まれました。 自業自得だと思い、大金を払い吉兆の料理を食べてた人達が可愛そうになりましたが、最近、本当に廃業に追い込むことが良かったのだろうかと自分自身にも問いかけてしまいます。 昔、中学生の頃、塾の帰り道で、友達と駄菓子屋で、友達と大福餅を買い食いした時の事ですが、暗闇の中、歩きながら、大福を食べていると、 何か、甘酸っぱい味がするので、私は友達に、「この大福は、違った味がするけど、新製品かなぁ」と言い、友達もそうかなぁと言った感じで、半分ぐらい食べた後、その友達の家に着いた時に、友達のお母さんに、大福を見せてみると、友達のお母さんは「これ、腐っているよ」と言うのです。 もう既に、半分以上食べていたのですが、そんなに心配もせず、薬も飲まなかったのですが、中毒をおこすことは無かったです。 (この当時の駄菓子屋や雑貨店には、とんでもなく古い商品を置いている所が多くあったかもしれません) 当然、駄菓子屋に文句を言う事もしなかったし、この当時は賞味期限も消費期限も記載していなかったので、食べ物に対する危機管理は自己責任に任せられていたのかもしれません。 消費期限や賞味期限を記載する事は良い事だと思うのですが、 自分自身を振り返ると、食品に対して、神経質になってしまっていると思うのです。 味を確認せずに、捨ててしまう事もあったので、反省です。 船場「吉兆」だけでなく、多くのところで使いまわしは、行なわれてきたと思うのですが、許されない事ではありますが、(安全が前提ですが)知らなければ、それで済んでしまうことも事実なので、マスコミで叩き、廃業に追い込むことまでやるのは、やりすぎていると思います。 囁き女将のせいで、仕事を失う従業員の事を考えると、廃業で結末と言うのは、残念なことだと思います。 私は、「吉兆」に対し、何の興味もなく、一回の食事で数万円ものお金を出す価値が私には分からないのです。 当然、私の価値観なので、そこへ行く人達にとって、それだけの価値があった事は否定する事はできません。 ただ、高級料亭を誇っていた時の「吉兆」を奉るような世間と、不祥事が発覚した時の「吉兆」の取り上げ方は、極端すぎるような気がします。 マスメディアというものは、流行や旬なものには、過度に取り上げ、持ち上げますが、それが、下火になると全く取り上げず、使い捨てのように扱います。 それは、スポーツ、お笑い芸人にも当てはまり、スポーツや芸に対する本来の面白さを追いかけず、話題性、スター性など上辺だけのものしか取り上げません。 こんなマスメディアの姿勢が、今の日本の社会を象徴しているように思えます。 こんなことを書くと文句を言われるかもしれませんが、 高級料理店、高級ブランドを好み、そこで、大金を使う人の中には、 本当にその価値を理解してお金を出しているのか、疑問を感じます。 確かに、いいものには、それだけの価値があり、他とは差別化される魅力があるとは思いますが、だけど、その付加価値の差があまりにも大きすぎるのを見ると、 高いお金を出すことの優越感を感じることが優先されているように私は思えます。 貧乏人のヒガミでしょうが、ワイン通の芸能人が、番組の企画で、数十万円のワインと数千円のワインを当てれないのを観ると、 結局は、高いワインを飲むと言うことに酔いしれている人が多いのだと考えてしまいます。 確かに、ちゃんと分かる人もいるでしょうが、希少価値などで物の価値は変わるので、美味しいもの、イコール、高価なものではありません。 マツタケが、どんどん採れれば、マツタケは普通のキノコになり、 シイタケが、殆ど採れなければ、シイタケは高級キノコになります。 だから、人によれば、老舗高級料亭の料理より、フランチャイズの牛丼の方が美味しいと思う人はいると思います。(私です) 別に、高級料亭を批判しているのではなく、差別化される根拠はあるとは思うのですが、有名になると奉り、本来の価値以上に過剰評価してしまう風潮があるので、そんな意味では、今回の「吉兆」の件は、それを見直すいい機会にしてもらいたいと思います。 少しだけ、オリジナルを付け加えます。 昨日、日本テレビで、エコ関係の特番をやっていて、人類がすべて居なくなったその後の地球をシュミレーションをやっていました。 結局、人類が居なければ、地球は自然に富んだバランスのとれた地に戻り、色んな種類の植物、動物が、滅びずに繁栄してゆきます。 これを観ると、人間は余計な生き物で、諸悪の根源であることを思い知らされます。 悲しいですけど、人間の傲慢さが、地球を駄目にしているのは、事実だし、 私自身も立派な共犯者です。 だけど、人間には、悔い改めることの出来る生き物でありますから、自然を敬い畏れを知り、謙虚に自然や他の生き物と共存してゆく事は、不可能ではないと思います。 植物や動物を食料にしてゆく事は避けられないことですが、無駄を無くし、大切さを忘れずに食することも大事だと思います。 せめて、同じ人間同士が、差別無く生活し、富める者が、貧しい者を思いやる気持ちを持って生きてもらいたいものです。
by kurukurutomo
| 2008-06-06 12:36
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