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今、桜と言うコンセプトで気になる人たちがいます。
一つは、 「フニクリ・フニクラ 」の替え歌で、クリクラという浄水器のCMに出ている双子の女の子です。 何か、時代錯誤的なCMですが、「クリクラ、クリクラ」と歌うインパクトが強く、忍者みたいな格好をしているのに、中国人双子とテロップを出しているのです。 当然、インターネットで調べてみると、彼女達は桜組(桜紅丸/桜蘭丸) という芸名で、コンセプトは じょんがら節とポップスをミックスした歌を歌い、忍者風な衣装で、中国人ながら、和のテイストで、売り出しているのです。 可愛らしい双子なので、これからテレビ番組にも登場してくると思うので、これからもチェックしたいと思っています。 もう一つの桜は、動画配信サイト「日本文化チャンネル桜」のチーム桜子です。 この日本文化チャンネル桜は、保守系というよりも右より思想の人たちでつくるお堅い番組ですが、 この番組を応援するグループとして、一見若くて綺麗な女性がブログを掲載し、日本を右より思想の国になるように、頑張っているのです。 今までの右より思想に対する恐いというイメージを払拭する為、彼女達は、政治、思想に無関心な同世代の人たちをどうすれば、自分達の思想に取り入れることが出来るかを真剣に考えているのです。 最近は、政治家もジャーナリストも保守系女性が増えてきているので、時代の流れかなぁ~と思うのですが、 世の中の若い女性たちが、「あの戦争は、侵略戦争ではなく、自衛戦争で、植民地化されたアジアの国々の独立に手助けをし、南京大虐殺は、中国人の嘘で、朝鮮人従軍慰安婦は、強制的では無く、志願してお金の為に身体を売ったので、強制は嘘で、日韓併合は、韓国も了承し、韓国の経済発展の源になったので、日本に感謝するべき」だと言い出せば、日本の進む道は変わるでしょうね。 この手の人たちは、やたら、「誇りある日本を取り戻す」とスローガンのように言いますが、私から言えば、自画自賛する誇りなんて、他所から見れば、何の価値も無いでしょう。 この手の人たちの願うところは、軍備を増強し、核兵器を保有することで、周辺諸国に力で負けないことを知らしめることで、誇りを取り戻せると思っているでしょうが、結局は、あの戦争の前の時代の考え方と大差は無い事になってしまうでしょう。 この手の人たちは、あの戦争を侵略戦争と言われる事に、凄く嫌悪感を持ち、やたら、欧米の植民地化政策を取り上げて、日本を正当化しますが、欧米の強国がやったことも日本がやったことも、両方とも侵略戦争で、何が違うかと言えば、日本は後進侵略で、その戦争に負けたという事実なのです。 それに、保守系女性は、皇室典範でも男系男子を守ろうという思想にも同調し、女性自身が封建時代のような思想をそのまま受け継ぐのはおかしすぎるのです。 左よりの人にも言えるのですが、新興宗教のように、すべての考えが皆が同じ方向に向き、この件に関しては 私は違うというところが見えてこないのです。 私は、保守系の人の考えも理解できないではなく、中国政府の少数民族に対する酷い仕打ちやロシア政府の北方領土共同開発の約束を破り、自国だけの利益にはしる身勝手なやり方には腹が立ちます。 だけど、保守系の人たちは、中国の少数民族を単に救うのではなく、中国を非難する道具にし、ついでに、少数民族の味方の様に振舞うのです。 本当に弱い人たちを救うのであれば、自分達の利害に関係なく、他の弱者に対しても救いの手を差し伸べるべきでしょう。 一番、分かりやすいのは、拉致議連です。胸に青いバッジをつけ、北朝鮮を非難することぐらい誰でも出来ます。 全部とは言いませんが、偽善としか思えないのです、少なくとも自分達のプロパガンダに利用しているだけのように思えるのです。 何故、そこまで言うかと言うと、北朝鮮に対し、経済制裁ばかり口を揃えて言いますが、人質を捕らえられた家族なら、強気に責めることで、人質の安否に関わることも想像出来るので、本当に拉致された人の安否を心配するなら、強硬論ばかりではなく、違うやり方も提案する者が出てきてもいいと思うのです。 みんなが同じ方向に向いていなければいけないというのは、民主主義ではなく、全体主義ではないでしょうか? 私が大嫌いな金美麗氏の言葉ではありますが、私も同感出来る言葉があります。 それは、日本人は、一つの方向に向くと、みんな同じ方向に向いてしまう傾向があるという言葉です。 戦争時の軍国主義では教育もあったのですが、皆が同じ考えを持ち、終戦後アメリカの政策によって、戦争反省による低姿勢過ぎる左よりな方向に多くが向かってしまい、そして、その反動のせいで、過去の戦争の歴史をも肯定的に考えようとする右向きな人が増えてくる風潮(自虐史観論)になってきたのだと思う。 私は、右より思想も左より思想も両方がバランスよく存在してもいいと思うのです。 どちらかに偏ってしまうと、流れは止まらず、突き当りまで行くとその反動で、真逆に進んでしまうような気がするのです。 この平和な世の中が真逆に進む事はあってはいけないので、あらゆる意見が交錯するのはいいと思います。 ただ、戦争だけは,繰り返してはいけないのです。 だから、戦争を部分的にも肯定するようなことは、一切認めず、軍備の拡大や核兵器の保有を主張する保守派を見過ごすことは出来ないのです。 保守派は、今のNHKを売国奴のように言うけれど、今のNHKは、戦争批判という立場を貫き、質の高いドキュメントを多く作っていると私は思います。 NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの“一等国”」をやたら持ち出し、提訴することなど止めて、戦争体験者の戦争告白のドキュメントを観るべきです。 特攻隊の生き残りの人たちは、生き残ったことを罪だと思い、自分を責めて生きてきたのです。 集団自決で、自分の愛する家族を手にかけた人たちは、想像を絶する悲しみを抱いて生きてきたのです。 戦場で、怪我人に捕まる事が許されなかったので、自決用の手榴弾を事務的に渡した人、海の中で、すがりつく仲間の手を振り払い助かった人、食料が無く、罪の無い民家に押し入り、食料を強奪した人、色んなかたちで肉体だけでなく、心まで傷ついた人たちは、戦争のことを今まで、語らないというより、語りたくなかったのです。 だけど、「新しい歴史教科書を作る会」など、地獄のようなあの戦争を肯定したり、美談にしたりする風潮に、このままでは、あの過ちを繰り返すと思い、辛い気持ちを抱え、戦争体験を語り、戦争の悲惨さと無意味さを後世に残そうとしたのだと思うのです。 民主主義国家の日本ですが、戦争に関しては、許されないことはあるのです。 日本の誇りを取り戻そうとするなら、弱いものを助け、強いものに立ち向かうことが大切ではないでしょうか? 戦争被害者でもある中国残留孤児の人たちが、日本を夢見て、日本に帰ってから、国は彼等にどのような待遇を用意したのでしょうか? それに、移民政策で南米に移民した日系人を一旦は日本に受け入れ、不況だからと言って、南米に戻ることをすすめる政策を取る政府に対して、怒りを感じないのでしょうか? 私は、民族、宗教、国に関係なく、困っている人に手を差し伸べることが人としての誇りであると思うのです。 そこには一切の差別要因は無く、「日本は優れている」という意味の無い誇りなんて持たず、その人自身を見つめ、民族を一括りに批判したり、絶賛したりする愚かなことは止めないといけないです。 実際、日本の国には、ハーフ(ミックス)やクウォーターの人が、沢山存在しています。 その人たちを日本人とか、アメリカ人とか、中国人とか、韓国人とか分けて考える事自体がおかしいのです。 外国で暮らす日本人も大切ですが、日本で真面目に暮らす外国人も大事な日本という国の一員なのです。 だから、国粋主義を主張しても江戸時代には戻れないのです。 それから、日本のことを批判するような人を「売国奴」と呼び、「日本が嫌いなら日本から出てゆけ」とよく言いますが、日本を愛するからこそ、日本の悪い部分を指摘するのであって、凄い愛していると思うのです。 これは、愛し方の違いであって、親の悪口を言うからと言って、縁を切る人はいないでしょう。 私からみると保守系の人の日本に対する愛し方は、幼稚な感じがしますね。 ある意味、純粋なのでしょうけど、純粋さは、時には危険な要因になります。 日本の誇りを取り戻す前に、自分自身が周りからみても尊敬に値する人になれれば、誇りは自然に生まれてくるでしょうね。 誇りを押し付けても、それは、誇りではなく、ただの思い上がりで、エゴにしか見えないものになってしまいます。 「憂国」や「誇り」という言葉は、あまり使わない方がいいと私は思います。
by kurukurutomo
| 2009-08-26 22:35
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