リストーラ久留島の言いたい放題


自分の歌の紹介、動物に対する思いや社会問題、スポーツなどについて語ります
by kurukurutomo
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上辺の伝統を守るより...

保守派が嫌うテレビ局といえば、テレビ朝日、TBSですが、最近は、その民放局より、非難が集中しているのは、国営放送とも言われるNHKですが、このNHKは、国の特殊法人であり、事業予算・経営委員任命には国会の承認を得なければいけないので、保守派が反日的放送だと怒るのは、矛盾も感じます。

保守派からするとNHKは、「冬のソナタ」など韓流ブームの火付け役であり、日中、太平洋戦争を侵略戦争という観念で当時の日本軍国主義を検証する番組作りをしているので、我慢できないと察します。

保守派の方々は、日本の伝統を守り、日本の誇りを取り戻そうとお考えですが、守ろうとする伝統は、形式的なことが多く、内面的なことはあまり語られていないように私は思います。

例えば、皇室典範改正も頑なに、男系の男子を守ろうとしますが、今の皇室の仕組みからすると皇室から離れた男系の人を復活しなければならず、今の天皇から程遠い親族が天皇になることになることになります。

そんな親しみの無い方より、愛子さまのように、今の天皇に近く、国民に親しみのある方が天皇になる方が、天皇制の意義があるように思えるのです。

そんな上辺の伝統を重んじるより、日本人が持つ「周りに気遣いが出来る繊細な心」など良き習慣や伝統を守る方が説得力があると思うのです。

今の日本を嘆く保守系の人たちは、過去の歴史や戦争における正当性を主張し、その歴史や戦争の悪い面を反省する姿勢を自虐的だと文句を言い、隣国に「何度誤ればいいのか」と怒りますが、政府の要人など保守系の者が、反省をぶち壊すような発言をするから、信用を失うのです。

確かに、過去の歴史を材料に日本に要求をつきつける隣国の姿勢は、腹が立ちますが、戦後処理を中途半端なかたちで、終わらせたせいだと私は思います。

本当に良き日本の文化や伝統を守ろうとするなら、マナーの低下による自分勝手な行動をする者に対するマナー向上の運動をしたり、オレオレ詐欺や覚せい剤撲滅の運動を率先してする方が、国民に思いが伝わると思うのです。

だから、NHKや親中、親韓団体を非難し、「反日狩り」をスローガンに運動するのは愚かです。
私には、戦中の憲兵隊が行なった反日、非国民狩りに通ずる思想にダブってしまうのです。

日本には、多くの外国人、ハーフ(ミックス)が暮らしているので、民族的な差別意識を持たず、一人の人間として共存してゆくことが大切だと思います。

日本には、中国人マフィアやイラン人薬物密売人や外国人窃盗団など、犯罪目的で入国してくる者もいるでしょうが、すべての外国人を犯罪分子のように見る発想は、稚拙なことです。
(ダルビッシュ選手が薬物密売人なんて思わないでしょう)

日本国内の重犯罪が、外国人ばかりなら、考えなければいけませんが、殆どは日本人であり、外国人の犯罪が、とび抜けているわけではありません。

無差別に人を殺す日本人が居ても、日本人が凶悪な民族だなんて誰も思わないでしょう。
だから、外国人に対しても、同じような見方をすることが賢明だと思います。

私は、中国やロシアの脅威は楽観的になるべきでは無いとは思いますが、軍備に関しては、張り合うことは賛成できません。

現在の世界の争いは、領土ではなく、情報、技術、エネルギーです。
特に、エネルギーの確保は、中国、ロシア、アメリカは世界の脅威だと思います。

日本が守らなければいけないのは、日本の技術力で、中国資本による日本企業の買収は、深刻です。
買収されるのは、資本だけでは無く、その企業の技術力も奪われる可能性があるのです。

別に、中国が悪者では無く、日本もアメリカの大資本を買収した歴史はあるので、ある意味、仕方ないことだと思います。

これからの日本は、自国の企業の技術力を守る必要があります。
守ると言っても、今までやってきた大企業優遇政策という利権の意味では無く、極端なことを言うと、東大阪の小さな町工場の外国には真似出来ない技術を高く評価し、小さな町工場でも安心して働ける企業間格差を無くすことをしなければいけないと思います。

それに、正規社員と派遣社員の色んな面の格差を是正してゆくことが大切です。

どこの党が政権を握るのか、まだ分かりませんが、日本にいる人たち全員が幸せになれることを目指して、頑張って欲しいものです。
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by kurukurutomo | 2009-08-30 12:59

歴史的な選挙になるのか?後2日後の衆議院選挙!

テレビでは、連日、酒井法子の事件の話題で騒いでいます。
確かに、驚きの事件であり、覚せい剤の問題は深刻な問題なので、軽視することではありませんが、
このような報道の仕方に、うんざりしている人は少なくないでしょう。

このニュースの裏では、もっと報道しなければいけないニュースも多いのに、
視聴率先行のテレビでは、酒井法子のニュースから離れられないみたいです。

その酒井法子のニュースの他で、よく報道されているのは、後2日後に控える歴史的な選挙になるかもしれない衆議院選挙の話題です。

この話題を盛り上げるのは賛成ですが、選挙前から、民主党が過半数を単独で獲る勢いだと、各局の調査で、政権交代を強調しています。

政権交代を熱望する私にとって、嬉しい反面、多少の不安もあります。
これだけ、民主党が圧勝すると言い過ぎると、日本人気質から考えると、まだ、どこに入れるか決めていない浮動票の人たちが、自民党に同情し、入れてあげようという気持ちになったり、前回の小泉人気での郵政選挙のように、あまりにも一つの党に票が集まり、圧勝してしまうと、国会において、あまり良くないのではないかと考え、自民党にも余力を与える為に、自民党に入れて、民主の勝ち過ぎに歯止めをかけようとするのではないかと思われるのです。

実際、このような心理戦は政治だけでなく、色んな分野でも考慮されているので、もしかしたら、どうにもならない自民党やそれを支える官僚や利権を持つ企業などの戦略かもしれないです。

私は、自民党も民主党もたいして違いは無く、民主党が勝てば日本のすべてが良くなるとは、思ってはいません。

ただ、長い間、政権を握ってきた自民党では、、悪しき慣習から離れられない官僚を中心とする霞ヶ関の悪い体制は、政権交代されなければ、変えることは難しいのです。

民主党でも政権が長く続けば、また無駄や腐敗は生まれてくると思いますが、一番大切なのは、勝手な自分達の利権に固執していれば、選挙で下野させるという国民の意思表示を示すことです。

民主党に対しては、あまり期待を膨らませることはしないようにしていますが、
もし、過半数を獲り、政権与党になった時は、国民の期待を裏切らないように、低所得者や弱い立場の人たちが最低限の生活を送れ、世界が羨む、日本全体が富める国にして欲しいものです。

そして、他の国にもその富みを伝染させられる真の先進国になって欲しいものです。

利権に走らず、無駄を無くし、本当に国民全体の幸せを目指してくれるなら、どこの党でも応援します。
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by kurukurutomo | 2009-08-28 12:57

桜というコンセプトで対照的な気になる事!

今、桜と言うコンセプトで気になる人たちがいます。

一つは、 「フニクリ・フニクラ 」の替え歌で、クリクラという浄水器のCMに出ている双子の女の子です。
何か、時代錯誤的なCMですが、「クリクラ、クリクラ」と歌うインパクトが強く、忍者みたいな格好をしているのに、中国人双子とテロップを出しているのです。

当然、インターネットで調べてみると、彼女達は桜組(桜紅丸/桜蘭丸) という芸名で、コンセプトは
じょんがら節とポップスをミックスした歌を歌い、忍者風な衣装で、中国人ながら、和のテイストで、売り出しているのです。

可愛らしい双子なので、これからテレビ番組にも登場してくると思うので、これからもチェックしたいと思っています。

もう一つの桜は、動画配信サイト「日本文化チャンネル桜」のチーム桜子です。
この日本文化チャンネル桜は、保守系というよりも右より思想の人たちでつくるお堅い番組ですが、
この番組を応援するグループとして、一見若くて綺麗な女性がブログを掲載し、日本を右より思想の国になるように、頑張っているのです。

今までの右より思想に対する恐いというイメージを払拭する為、彼女達は、政治、思想に無関心な同世代の人たちをどうすれば、自分達の思想に取り入れることが出来るかを真剣に考えているのです。

最近は、政治家もジャーナリストも保守系女性が増えてきているので、時代の流れかなぁ~と思うのですが、
世の中の若い女性たちが、「あの戦争は、侵略戦争ではなく、自衛戦争で、植民地化されたアジアの国々の独立に手助けをし、南京大虐殺は、中国人の嘘で、朝鮮人従軍慰安婦は、強制的では無く、志願してお金の為に身体を売ったので、強制は嘘で、日韓併合は、韓国も了承し、韓国の経済発展の源になったので、日本に感謝するべき」だと言い出せば、日本の進む道は変わるでしょうね。

この手の人たちは、やたら、「誇りある日本を取り戻す」とスローガンのように言いますが、私から言えば、自画自賛する誇りなんて、他所から見れば、何の価値も無いでしょう。

この手の人たちの願うところは、軍備を増強し、核兵器を保有することで、周辺諸国に力で負けないことを知らしめることで、誇りを取り戻せると思っているでしょうが、結局は、あの戦争の前の時代の考え方と大差は無い事になってしまうでしょう。

この手の人たちは、あの戦争を侵略戦争と言われる事に、凄く嫌悪感を持ち、やたら、欧米の植民地化政策を取り上げて、日本を正当化しますが、欧米の強国がやったことも日本がやったことも、両方とも侵略戦争で、何が違うかと言えば、日本は後進侵略で、その戦争に負けたという事実なのです。


それに、保守系女性は、皇室典範でも男系男子を守ろうという思想にも同調し、女性自身が封建時代のような思想をそのまま受け継ぐのはおかしすぎるのです。

左よりの人にも言えるのですが、新興宗教のように、すべての考えが皆が同じ方向に向き、この件に関しては
私は違うというところが見えてこないのです。

私は、保守系の人の考えも理解できないではなく、中国政府の少数民族に対する酷い仕打ちやロシア政府の北方領土共同開発の約束を破り、自国だけの利益にはしる身勝手なやり方には腹が立ちます。

だけど、保守系の人たちは、中国の少数民族を単に救うのではなく、中国を非難する道具にし、ついでに、少数民族の味方の様に振舞うのです。
本当に弱い人たちを救うのであれば、自分達の利害に関係なく、他の弱者に対しても救いの手を差し伸べるべきでしょう。

一番、分かりやすいのは、拉致議連です。胸に青いバッジをつけ、北朝鮮を非難することぐらい誰でも出来ます。
全部とは言いませんが、偽善としか思えないのです、少なくとも自分達のプロパガンダに利用しているだけのように思えるのです。

何故、そこまで言うかと言うと、北朝鮮に対し、経済制裁ばかり口を揃えて言いますが、人質を捕らえられた家族なら、強気に責めることで、人質の安否に関わることも想像出来るので、本当に拉致された人の安否を心配するなら、強硬論ばかりではなく、違うやり方も提案する者が出てきてもいいと思うのです。

みんなが同じ方向に向いていなければいけないというのは、民主主義ではなく、全体主義ではないでしょうか?

私が大嫌いな金美麗氏の言葉ではありますが、私も同感出来る言葉があります。
それは、日本人は、一つの方向に向くと、みんな同じ方向に向いてしまう傾向があるという言葉です。

戦争時の軍国主義では教育もあったのですが、皆が同じ考えを持ち、終戦後アメリカの政策によって、戦争反省による低姿勢過ぎる左よりな方向に多くが向かってしまい、そして、その反動のせいで、過去の戦争の歴史をも肯定的に考えようとする右向きな人が増えてくる風潮(自虐史観論)になってきたのだと思う。

私は、右より思想も左より思想も両方がバランスよく存在してもいいと思うのです。
どちらかに偏ってしまうと、流れは止まらず、突き当りまで行くとその反動で、真逆に進んでしまうような気がするのです。

この平和な世の中が真逆に進む事はあってはいけないので、あらゆる意見が交錯するのはいいと思います。
ただ、戦争だけは,繰り返してはいけないのです。

だから、戦争を部分的にも肯定するようなことは、一切認めず、軍備の拡大や核兵器の保有を主張する保守派を見過ごすことは出来ないのです。

保守派は、今のNHKを売国奴のように言うけれど、今のNHKは、戦争批判という立場を貫き、質の高いドキュメントを多く作っていると私は思います。

NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの“一等国”」をやたら持ち出し、提訴することなど止めて、戦争体験者の戦争告白のドキュメントを観るべきです。

特攻隊の生き残りの人たちは、生き残ったことを罪だと思い、自分を責めて生きてきたのです。
集団自決で、自分の愛する家族を手にかけた人たちは、想像を絶する悲しみを抱いて生きてきたのです。
戦場で、怪我人に捕まる事が許されなかったので、自決用の手榴弾を事務的に渡した人、海の中で、すがりつく仲間の手を振り払い助かった人、食料が無く、罪の無い民家に押し入り、食料を強奪した人、色んなかたちで肉体だけでなく、心まで傷ついた人たちは、戦争のことを今まで、語らないというより、語りたくなかったのです。

だけど、「新しい歴史教科書を作る会」など、地獄のようなあの戦争を肯定したり、美談にしたりする風潮に、このままでは、あの過ちを繰り返すと思い、辛い気持ちを抱え、戦争体験を語り、戦争の悲惨さと無意味さを後世に残そうとしたのだと思うのです。

民主主義国家の日本ですが、戦争に関しては、許されないことはあるのです。

日本の誇りを取り戻そうとするなら、弱いものを助け、強いものに立ち向かうことが大切ではないでしょうか?
戦争被害者でもある中国残留孤児の人たちが、日本を夢見て、日本に帰ってから、国は彼等にどのような待遇を用意したのでしょうか?

それに、移民政策で南米に移民した日系人を一旦は日本に受け入れ、不況だからと言って、南米に戻ることをすすめる政策を取る政府に対して、怒りを感じないのでしょうか?

私は、民族、宗教、国に関係なく、困っている人に手を差し伸べることが人としての誇りであると思うのです。
そこには一切の差別要因は無く、「日本は優れている」という意味の無い誇りなんて持たず、その人自身を見つめ、民族を一括りに批判したり、絶賛したりする愚かなことは止めないといけないです。

実際、日本の国には、ハーフ(ミックス)やクウォーターの人が、沢山存在しています。
その人たちを日本人とか、アメリカ人とか、中国人とか、韓国人とか分けて考える事自体がおかしいのです。

外国で暮らす日本人も大切ですが、日本で真面目に暮らす外国人も大事な日本という国の一員なのです。
だから、国粋主義を主張しても江戸時代には戻れないのです。

それから、日本のことを批判するような人を「売国奴」と呼び、「日本が嫌いなら日本から出てゆけ」とよく言いますが、日本を愛するからこそ、日本の悪い部分を指摘するのであって、凄い愛していると思うのです。
これは、愛し方の違いであって、親の悪口を言うからと言って、縁を切る人はいないでしょう。

私からみると保守系の人の日本に対する愛し方は、幼稚な感じがしますね。
ある意味、純粋なのでしょうけど、純粋さは、時には危険な要因になります。
日本の誇りを取り戻す前に、自分自身が周りからみても尊敬に値する人になれれば、誇りは自然に生まれてくるでしょうね。

誇りを押し付けても、それは、誇りではなく、ただの思い上がりで、エゴにしか見えないものになってしまいます。

「憂国」や「誇り」という言葉は、あまり使わない方がいいと私は思います。
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by kurukurutomo | 2009-08-26 22:35

お勧めの本「差別と日本人」!まさか野中広務氏の本に共感するとは!!

お勧めの本があります。
それは、野中広務元衆議院議員と人材育成コンサルタントの辛淑玉氏の共著である
「差別と日本人」です。

野中氏は、元自民党の大政治家でしたが、今は、社会福祉法人の理事を務め、福祉事業に取り組んでいるそうです。
私にとって、野中広務というイメージは、自民党の中心であり、古いタイプの政治家で、どちらかと言えば、嫌いな政治家でした。

私は、恥ずかしながら、野中氏の生い立ちや政治家としての功績も現在の活動も知らないというより、興味が無かったのです。

ある時、本屋で、この本の見出しを見た時に、興味を持ってしまい、購入し、読んで見たのです。

野中氏は、京都の園部で生まれ、町議、町長から京都府議、副知事をへて、衆議院議員となったのですが、
元々は、大阪鉄道管理局で務めており、被差別地区出身という差別を受けながらも、前向きに差別の無い社会を志とし、国会議員にまでなった人ですが、当事者である野中氏の同和問題に対する考え方に共感を覚えました。

野中氏は、被差別地区の者に対する優遇措置では、差別は無くならず、優遇する事で、逆に差別が大きくなると言っています。

それに、同和問題における利権に対しても批判しており、本当に差別を無くす為に、何をするべきかを真剣に取り組んでいたと思うのです。

奈良で清掃局に務める公務員が仕事をせずに、給料を騙し取り、同和開放運動を楯に役所を脅した事件がありましたが、同和開放運動を利用し、利権を食いものにした姑息な悪い奴等が多いので、野中氏は、そんな奴等が許せなかったのだと思います。

明治維新で四民平等としながらも、新平民として部落差別は後世に受け継がれ、大正、昭和、平成になった現代でも部落差別は、水面下で残っているのです。

それから、共著の辛さんは、在日韓国、朝鮮人3世ですが、民族差別という思想から、反日の象徴的な存在の人ですが、辛さんが20歳になり、日本名から本名「辛淑玉」を名乗るようになり、家族、親族を差別の渦に巻き込む人生を送ったことを想像すると涙がこぼれてきました。

辛さんが、本の中で、なるほどと思ったのは、アメリカのオバマ大統領はアフリカ系黒人と白人とのハーフ(ミックス)なのに、黒人大統領と呼び、白人とは認めないのは、おかしいというような事を書いていましたが、日本でも日本人と結婚した外国人との子供を日本人とみなさない風潮があると思ったのです。

アメリカの白人至上主義と同様に、日本人にも同様に、純粋な日本人でなければ、日本人として認めないという血統主義的なものを感じる時があります。

被差別地区差別や在日韓国、朝鮮人差別で、差別される当事者が、この問題に取り組むと家族、親族まで巻き込むことになり、非常にリスキーな立場に晒されてしまうことに悲しさを感じてしまうのです。
だから、差別される側とは無関係な私のような者だからこそ、差別に対して、問題点をあげ、差別を容認する馬鹿者たちに一石を投じなくてはいけないと思うのです。

多分、当事者では無い人達は、実際身近に差別なんて感じないし、そんなことを掘り出して言うべき事では無いというでしょうが、「差別」も「イジメ」もそれが、有るか、無いかを当事者以外の人間が決め付けて言うのは、本当に愚かな事です。

イジメにおいても、虐めた側は、虐めた意識が薄かったり、忘れてしまったりしてしまい、虐めた認識があっても長い年月が経てば、過ぎたことのように、罪の意識も持たないのです。

以前、高校の同窓会で、ある友人が、中学でも一緒だったあるクラスメイトを虐めた過去を告白し、そして、高校を卒業し、成人してから、そのクラスメイトから、虐められた恨み辛みを綴った手紙を送られてきたことを話してくれた。
その手紙には、カミソリが入っており、その友達が「あんな昔のことで、今頃なんでこんなことをするのか?」と嘆いたことを話してくれました。

その虐めの対象になったクラスメイトは、実は、高校で私達と野球をしたり、明るく遊んでいた友達で、そんな虐められた過去があったなんて、微塵にも思いつかなかった友人でした。

ましてや、そんな脅迫めいた手紙を送るようなタイプのやつではなかったので、驚きと同時に、深い悲しみを感じました。

結局は、差別、イジメは、加害者と被害者との意識の差が大きく、差別、イジメの原因はあれど、それを肯定する要因は一切無いのです。

こんなことを書いている私も自分に意識がないだけで、差別をしているかも知れず、誰かを傷つけたかも知れないので、自分自身を戒めることになるかもしれませんが、それでも差別、イジメは許されることでは無いのです。

匿名のインターネット掲示板を見てください、特に2ちゃんねる掲示板では、実名が出ないことをいいことに、目に余るような部落差別、在日外国人差別の書き込みが溢れています。

たかが、2ちゃんねると言えども、本心を晒せば、差別をすることに悦びを感じる可愛そうな奴等がゴロゴロしているのです。

差別をする人間には、真の誇りというものは無いと私は思います。
自分勝手に作り上げる誇りを持っても、それは、外から見れば、価値の無い、偽りの誇りなのです。

誇り有る人は、自然に周りの人がそれを認め、謙虚な姿勢で、周りも幸せ感をもたらせてくれるのだと思うのです。

出来れば、この「差別と日本人」角川書店を一度読んでみて、差別について自分に問いかけて欲しいです。
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by kurukurutomo | 2009-08-24 22:17

選手も解説も良かった世界陸上女子マラソン!

今日で世界陸上ベルリン大会も終わりで、残念ですが、本当のところあまり観ていなかったので、
何となく、日本勢の活躍も無く、棒高跳びの女王が記録無しの番狂わせがあったことと
短距離走(100m、200m)で、やはり、ボルトがブッチギリで速かったぐらいしか知らなかったです。

だけど、女子マラソンは、途中から観ていました。
走っている選手は、誰も知らないのですが、解説をしている増田明美と高橋尚子が、とても良くて、選手を応援するよりも、2人の解説に聞き入っていました。

日本人選手が上位に居たので、日本人びいきの解説になるかと思っていると、外国人選手のエピソードやデーターも上手く取り入れ、2人の解説がとても心地良かったです。

それでも、終盤は、日本人、中国人、エチオピアの三つ巴になり、残り10キロは見ごたえもあり、日本人の尾崎選手に金をとって欲しい気持ちが高まりました。

最後は、中国の白雪選手に振り切られ、尾崎好美選手は銀メダルになりましたが、恩師の山下選手の記録に並んだので、よく頑張ったと賞賛を送りたくなりました。

尾崎選手もゴール後は、すごくいい顔をしていたので、こちらも気持ちよくなりました。
ただ、尾崎選手の2位と同様に感動したのは、14位でゴールした藤永選手です。

藤永選手は、日本人選手の最後だった31位で遅れてゴールした赤羽選手をバスタオルで迎え、そして、疲れきった赤羽選手の首に氷のうを当ててあげていました。

藤永選手もその後コーチらしき人の前で、涙していました。
もう少しで、入賞出来た藤永選手にとって、すごく悔しいレースだったと思われるのに、日本人最後の選手のことを気遣う姿は、本当に感動しました。

ちなみに、7位入賞した加納選手は、表情も変わる事無く、インタビューでも入賞は最低限の順位だと言っていたので、多分、加納選手が、これからの女子マラソンでより一層活躍するような予感がします。

選手も解説も気持ちが良かった女子マラソンでした。
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by kurukurutomo | 2009-08-23 21:34

23年ぶりの再会!

昨日、小学校の同級生である友達と23年ぶりに会った。

彼とは、小学校の5,6年の同じクラスメイトだったが、その時は、あまり親しくは無く、私が校区外に引越しした為に、隣の中学に行く事になり、そのまま親しい友達になることはなかった予定でしたが、
私が、小学校当時の友達と繋がりを持つために行った小さな塾に、彼も来ていて、家が近かったせいもあり、急速に仲が良くなった。

その塾は、確か、会社員をしている人が自宅で、副業的にやっていた塾でした。

今から考えるととんでもない塾で、凄いラフな格好で、お酒を少し飲んでいる状態で、教えていたのです。

おまけに、大の阪神タイガースのファンで、隣の部屋にあるテレビを時々観戦しながら、教えていたのです。

だけど、賢いものも頭の良くないものも一緒のカリキュラムで教え、勉強以外の事も教えてくれる私にはいい先生でした。

その塾に通う彼は、その先生のおかげで数学が良くなったと言い、進学校に入ることが出来たみたいです。

私の学力は、さほど伸びはしなかったけど、この塾のおかげで、彼との親交を深めることなど、色んな財産を与えてくれました。

そして、彼は、大学も一流大学へ行き、就職も県下の業界トップの会社に入る事になりました。

高校、大学と違う学校に行きましたが、度々、会って恋愛の話など、青春を彼と過ごすことが出来ました。

特に、性に関しては、思春期の好奇心が強い時期に、彼とは色んなことを語り合いました。

特に思い出深いのは、深夜に自販機で、コンドームを買い、どんな感じなのかを確認したのは、今では、笑い話になりますが、あの当時は、いざと言う時に、失敗をしないかと心配でいっぱいでした。
(今でも、色んな意味で自信は無いけれど...)

何故、そんな仲のいい友達なのに、23年も会わなかったのか、不思議ですが、就職し、時間の余裕が無く、20代に私が3年程東京へ行き、
30代の半ばで、阪神大震災があり、40歳で彼が8年間東京勤務となった事も原因だったと思われます。

長い間会わないと、タイミングというものが取れなくて、年賀状で今年は会おうと書きながら、昨日に至りました。

きっかけは、昨年の2月に東京でやったコンサートに彼が来ていて、その2ヵ月後に神戸に戻ってきたことを今年の年賀状に書いていたので、今年は、必ず会おうと決めていたのです。

昨日の待ち合わせは、何か変な感じで、男同士の待ち合わせなのに、凄い緊張感が有り、彼は、昨年、舞台で私を見ていますが、私は、どんな感じに年を重ねているのか分からないので、変な気持ちでした。

知り合ったばかりの女性を初デートに誘った時の緊張感に似ていて、会ったら何から話そうかと、頭の中は色んな思い出が駆け巡りました。

今、音楽の仕事を僅かながらもやらせて頂いていますが、彼と一緒に、ギターを買い、バンドをやる夢を持ち、一緒に、夜の海に行って、夜中まで、好きな歌を歌ったのは良き思い出です。

友達と言えば、同性の男ばかりでしたが、ここ数年、高校の同級生の飲み会は、女性の友達も多く、殆どが既婚者でありながら、男女で健全に飲み会を出来るのは、外から見ると変な感じに見えるかもしれません。

お盆の時は、男女6人で宴会し、途中に近くの海へくりだし、青春を謳歌しました。

財産は何も無い私ですが、友達と言う財産には恵まれている方だと思うので、これからも大事にしていきたいと思うのであります。
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by kurukurutomo | 2009-08-23 10:56

報道は、孤独死を強調するな!

先日の大原麗子さんの死亡は、発見が遅れ、ニュースでは孤独死を強調していたけど、
孤独死を強調するのは、私は良くない報道の仕方だと思います。

現代社会では、一人暮らしの年配者が多いので、一人暮らし=孤独というイメージが強くなり、
孤独感を持っていない人にも不必要な心配を押し付けているようになっていると思うのです。

竹内まりやさんの歌で「みんなひとり」という歌がありますが、この歌は、すべての人に対しての救いの歌になっていると思うのです。

生まれる時、死んでゆく時もひとり(双子は一緒に生まれるけど)であることは、基本的にすべての人は一人きりで生まれ、一人きりで死んでいくので、ある特定の人だけが孤独に生まれ、死ぬのではないということなんです。

それに、一人暮らしが寂しく、家族と暮らすことが楽しいという発想は、すべてにはあてはまらず、逆に、一人だけの方が楽しい場合も多いと思うのです。

家族が居るのに、疎外感や孤独感を持つ場合もあり、周りに人が居る中での孤独感ほど辛いものはありません。

確かに、家族と暮らし、家族のぬくもりの中で暮らす方がいいでしょうが、一人暮らしの方の孤独死を強調することは、断片的な偏見があるように私は思えます。

大原麗子さんの死は早すぎるし、悲しい事ですが、多くの人達の心の中に大原麗子さんの思い出が残っているので、大原麗子さんは、幸せだったと思いたいです。
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by kurukurutomo | 2009-08-22 10:23

国立戦没者追悼施設を造り、靖国神社は、普通の神社に!

私の両親は戦争を体験している世代ですが、幸いなことに、父は戦場の最前線に行く事もなく終戦を迎え、
母は朝鮮鉄道の職員として働く祖父の関係で、生まれて終戦までは朝鮮半島で暮らしていたので、日本内地の酷い空襲を経験していなかったようです。

それでも、軍国教育の為、「日本は神の国なので、戦争に負けるはずがない」と信じきっていたそうです。
新聞でも日本の戦況が悪くなっても、良い事しか書かず、快進撃を続けているように戦争を後押しをしていたのです。

戦後、朝日新聞を筆頭に、各新聞社は、軍国主義国家の手先のようになり、戦争を止める努力を怠ったことを詫びましたが、実際、軍国主義国家になってしまったら、戦争を止める事なんて到底出来ないと思うのです。

だから、軍国主義国家になる前に、その流れを止めないと、戦争というものには歯止めが利かないと思うのです。

何故、戦争は起きるのでしょうか?
国家の利益を守る為、愛する家族を守る為、祖国、故郷を守る為とよく言いますが、
実際は、何も守ることは出来ず、殺し合いの連鎖で、肉体的だけでなく、精神的にも大きな傷を残しました。

毎年、終戦記念日に日本の総理大臣が「靖国神社参拝」において、色々と問題になりますが、何故、靖国神社でなければいけないのか?大きな疑問を感じます。

中国、北朝鮮、韓国の政府が参拝を非難するのは、策略的なものを感じるので、私でさえもちょっと不快感を感じます。
ただ、戦争のシンボル化として受け取られている靖国神社を政治家たちが、あえてこの日に参拝するのか?
私には理解できません。

麻生総理は、近隣諸国に配慮して行かないみたいですが、総理でなければ行くというのもおかしな話しです。
麻生総理は、カトリック信者と聞きます。
だったら、「宗教上の理由で、私は、教会で戦没者慰霊をします」とすればいいと思うのです。

何が言いたいのかと言うと、勝手に慰霊された戦没者の中には、神道以外の宗教信者もいると思うのに、何故、靖国神社に集め、この場所以外に、国立戦没者追悼施設を作ろうとすることに反対するのか?
私には、理解できません。

別に、「靖国神社を潰せ」なんて言っているわけではなく、靖国神社に個人の意思で行くのは、自由なのです。

ただ、宗教色の強い靖国神社を日本唯一の戦没者追悼施設とするのは、明らかに間違っています。
だから、無宗教の国立戦没者追悼施設を新たに造ることには、大賛成です。

そもそも、天皇陛下が、靖国神社に参拝していない事実を謙虚に受け入れるべきです。
私は、今の天皇陛下、皇太子殿下を尊敬し、平和の為に貢献していると思っております。
そんな皇室の平和への思いに対し、足を引っ張る人たちは、日本人として恥ではないのでしょうか?

靖国神社を特別な存在にはせず、多くある神社の一つとして、普通に参拝できる神社として扱えればいいと思うのです。
他の神社と靖国神社というものの存在の違いを感じることがおかしくて、8月15日ではなく、1月1日の新年の初詣の話題になることの方が自然だと思います。

民主党の代表である鳩山氏が、国立戦没者追悼施設を建てることを提案していますが、何故、反対するのか?戦後64年経ってもこんなことで論議される事自体が不思議でなりません。

硫黄島では、多くの日米の兵士が戦死しましたが、この地は唯一両国合同の慰霊碑があり、両国の遺族達が一緒に、慰霊するのです。

宗教、民族を隔てるのではなく、戦争で犠牲になられた方々全員を慰霊し、二度と戦争を犯さない誓いをしてゆくことが大切で、思想やプロパガンダに利用することは許されないことです。
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by kurukurutomo | 2009-08-16 13:11

戦争に勝者は無く、すべてが敗者なのです。

今日は、終戦記念日ですが、戦争で亡くなられた多くの方の冥福を祈るとともに二度とこのような戦争を起こさず、巻き込まれないように、戦争の悲惨さを後世にも伝えていかなければいけないと思います。

私が、若い頃は、戦争のことには、あまり関心も無く、どちらかと言えば、戦争映画をただの娯楽として観ていました。

ハリウッド映画は、アメリカがつくるので、当然、アメリカを中心とする連合軍が正義の味方で、日本が敵役になるのですが、ハリウッドの戦争映画の敵は、ナチスドイツが殆どで、日本軍と戦う映画は少なかったのです。

だから、日本人でありながら連合軍の立場で映画を観ていたので、今から考えると第2次世界大戦の本質と言うものを知らずに、自分達には関係ない戦争のように捉えていたのかもしれないです。

アメリカは、戦後、映画、音楽、ファッションなどアメリカ文化を日本人に素晴らしいものとして影響というよりも、洗脳する道具にしてきたと思います。
(ただ、映画、音楽などアメリカの文化を否定しているわけではなく、個人的に、映画、音楽は大好きなのです。)

だから、戦争映画の敵を日本軍では無く、ドイツ軍にしたのは、そうした配慮だったかもしれないですね。
本当のところは邦人を集めるより、キャスティングが楽なドイツ兵にしたのかもしれないですけどね。

私が若い頃でもこんな感じなので、今の若者達はもっと、この戦争に対しては、関心も薄く、知らない事が多くあるのは当たり前だと思います。

最近、被爆者の生き残りの方や集団自決の生き残りの方や特攻隊の生き残りの方が、当時の事を語って頂くドキュメント番組に多くの方が出ているように思えます。

過酷で、悲惨な状況を話したくなかっただろうし、戦友や周りの人たちが、消耗品のように死んでゆく中、自分だけが生き残ったことを恥だと思い、余計に当時の事を語りたくなかったようです。

だけど、絶対に戦争はいけないと言う風潮から、最近は隣国の軍事力の脅威を理由に、外交には、対抗する軍備を増やす必要があると言い出すものが増え、その中には、核兵器を肯定する者さえ現れ始め、国民全体が、場合によっては、条件付の戦闘もやむなしという雰囲気も出てきました。

それに、集団自決や特攻隊は軍の関与では無く、日本人の国を思う純粋な気持ちから、身を犠牲にして国の為に死んでいったと言う者も多くみられます。

このように美談にしてしまうと、それを否定しようとすると戦争で亡くなれた方々自身を否定しているように受けとられ、あの戦争は国民全体がすすんでした戦争のように誤解されてしまいます。

だから、本当は、戦争の記憶を思い出したくない人たちが、意を決して語り出したのだと思います。
話の中には、インパール作戦で無謀な作戦に対し、中央本部に対し、不満をぶつける者もいたのに、どんな酷い命令に対しも絶対服従なので、消耗品のように、無駄死にをさせられ、戦いではなく、飢餓と病気で多くの兵士が死に、埋葬や焼却することも出来ず、中には、遺体の一部を切り落とし、それを焚き火で焼いて、僅かな遺骨を家族の為に持ち帰ったと言っていました。

原爆で焼け爛れた人が水を欲しいと、せがまれた時に、水を飲ませると即死すると言われていたので、あえて水をあげず、今でも水をあげた方が良かったのかもと自分を責める方の話も印象に残りました。

沖縄や南方戦では、怪我人を残し、その場を退く時に、捕虜になる事を許されなかったので、自決用に手榴弾を事務的に渡したり、安全ピンを抜けない程の重傷者は、ピンを抜いてから、渡していたと言っていました。
その人は、自分のことを「私が殺したのです」と言っていました。

軍国教育をされていた国民や兵士の中には、どんなかたちでも生き残り、死んでたまるかと言う人も居たようでしたが、そんな人は非国民とされ、投降しようとすると後ろから日本軍に銃で撃たれたそうです。

戦争と言うものは、人を狂気に変え、身体や精神に多くの傷跡を残すだけのものであり、肯定する要素は一切無いのです。
後数十年もすれば、戦争体験者の方の生の証言は聞けなくなると思うので、出来るだけ若い世代を中心に、戦争の無駄、悲惨さを伝え、戦争には勝者は無く、すべての者が敗者となってしまう事を心に刻んでゆく義務があると思うのです。
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by kurukurutomo | 2009-08-15 15:05

日航機123便墜落の謎!

1985年8月12日、JAL123便の御巣鷹山事故は520人の犠牲者を出しました。
この事故は、当時かなりショッキングな事故で有名人も搭乗していて24年経った今でも胸が痛む大惨事でした。

この123便の墜落には、色んな疑惑があり、自衛隊のミサイルの誤射ではないかという仮説を唱える者もおり、賛否両論の意見が飛び交っております。

私は、自衛隊のミサイルの誤射は、ありえないと思うのですが、自衛隊が何らかの理由で、真実を隠しているような気がします。

日本だけでなく、軍隊の不祥事は出来る限り表沙汰にはしないので、世界の中には、表に出ない軍機と民間の乗り物とのトラブルは多く有るのだろうと予想されます。

この事故は、多くの謎が多く、ミサイルの誤射では無くとも、表には出せない真実が隠蔽されているのかも知れないです。

その謎ですが、生存者の証言に基づけば、圧力隔壁が破損しているにも関わらず、急激な圧力低下が見られなかったこと。
そして、墜落後米軍のヘリが旋回し、救助しかけて、去っていったこと。

生存者のこの証言がどれほど正確なものか分かりませんが、24年経っても生存者が、マスメディアで、事故のことを語ることがないのも、不自然なようにも思えるのです。

それに、公開されたボイスレコーダーが、全部を公開されておらず、削除されている箇所があるのは、都合が悪い通信があったのかと疑ってしまいます。

そして、123便が行方不明になってから、発見されるまでに、かなりの時間を費やしているのは、更に疑問を感じてしまいます。
この当時のレーダー技術が、日本上空を飛ぶ航空機を見失う程、劣っているようにも思えないし、本当に、米軍が、いち早く、123便の墜落現場を掌握していたなら、自衛隊が救助するのに時間がかかってしまったのか、疑問が残ります。

これは、仮説なのですが、救助隊が駆けつける前に、自衛隊の一部の者が、墜落現場に向かっており、秘密裏に何かの作業をしていたのかもしれないです。
その裏づけとして、オレンジ色の飛翔体が目撃されており、オレンジ色の残骸を運ぶ証言も出てきているのです。

このオレンジ色に飛翔体とは、123便が大阪に向かう途中に自衛隊が実験演習中だったファイヤービーの機体の色に酷似しているのです。
ファイヤービーとは、無人標的機で、それが、誤って123便の尾翼に当たったのかもしれないのです。

これは、ミサイルでは無く、演習なので、爆薬は装備されていなければ、航空機を木っ端微塵にする事も無く、
ぶつかった部分だけを破損させることになります。

あくまでも仮説であり、真実を知るには、限界がありますが、海難事故等でも潜水艦の当て逃げ事故は、実際にあるので、海だけでなく、空の上でも故意ではない、何らかのミスによる民間機との接触事故は無いとは言い切れないと思うのです。

この疑惑に関し、賛否両論あるのは、いいのですが、疑惑を否定する者の中には、日本の軍備拡大を推進する思想から、頭ごなしにこの疑惑を持つ者に対して、酷いバッシングをします。

この123便の墜落で、確実な事は、圧力隔壁と尾翼が破損し、本人確認も出来ない程の酷い状態の遺体が有る中、4人の生存者が居た事です。

そして、もし、米軍ヘリが、真っ先に現場に到着し、救助活動を迅速に行なっていれば、多くの乗客と乗務員が助かっていたかも知れないという重大な疑惑が持たれるのです。

本当に、自衛隊が米軍に対し、救助の要請を断わったのであれば、その罪は、許されることではありません。
これは、現場で活躍した自衛隊員を批判するものではなく、もっと中枢いる者に対して思うことであります。

坂本九さん、阪神タイガース球団社長など多くの犠牲者の冥福を祈ります。
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by kurukurutomo | 2009-08-13 00:37