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大震災後は特にラジオに耳を傾けることが多くなった私ですが、番組に寄せられるリスナーの言葉に共感し、パーソナリティが、もらい泣きするケースが少なくないようです。
誤解されるかもしれませんが、ラジオなどで集る被災者へのエールはすべてではありませんが、 私は素直には受け止められないのです。 「被災された方と心はひとつなので、頑張って下さい」とかの励ましは、すごく暖かみのある言葉ですが、 軽々しく、気持ちは理解できて、心はひとつなんて言えないと思うのです。 家族を亡くした人、家を失くした人、この先の仕事への絶望感は、当事者でしか分からない辛さがあり、 気持ちを察することは大切ですが、気持ちは分かるというのは、ちょっと違うと思うのです。 それに、被災した人たちで、頑張ろうというのは力が湧き出ますが、不自由なく暮らす者が、被災者の方に頑張って下さいというのは、勇気付けられる人もいるかもしれませんが、極限まで頑張っている人に、もっと頑張れというのは、酷なような気もするのです。 大概の人は、それは考え過ぎやろう、と言うでしょうが、ラジオに寄せられる言葉が、あまりにも綺麗な言葉で飾られ、特に、「何も出来ない自分に不甲斐無さを感じる」というのは、本当にそう思うなら、ラジオにファックスを送るより、僅かでも募金箱にお金を入れるべきだと思うのです。 今は、テレビなどを観て、涙する人も多いでしょうが、自分の生活に入るとそんな思いは薄らぎ、日常に入り込んでしまうのです。 これは、仕方ないことで、逆に、被災された方の将来の為にも、経済を盛り上げ、日本経済が衰退しないようにしなければいけないのです。 被災された方の為にも日本の母体をしっかりさせ、必要な援助を国全体でしてあげることが大切だと思うのです。 被災地のテレビを観て、涙で心が痛む人は多いでしょうが、それは一部分でしかないし、本当の悲しみは想像だけでは共有出来るはずはないのです。 エールを送ること自体は良いことですが、その言葉に酔いしれているような事はしないで欲しいのです。 ラジオのMCのアナウンサーやタレントがそんな言葉に共感し、涙声で放送をしていますが、 今は、多くの情報を忠実に、そして確実に伝えることが大切で、綺麗な言葉で一緒に泣いている時ではないと私は思うのです。 メディアで、泣くことで好感度を上げているとは言わないが、泣くことは誰でも出来るので、メディアに携わる知名度のある人にしか出来ないことがあると思うのです。 義援金を集う先陣に立ち、募金の連鎖を広げてゆくことに徹してもいいと思うのです。 放送局や番組単位では、義援金はやっていますが、一人の人間として、そういうことを先導してゆく方が、綺麗な言葉を集うより素晴らしいと思うのです。 私は冷たいと言われるかもしれませんが、テレビやラジオやイベントも支障がなければ、通常通りにやるべきだと思うのです。 テレビ、ラジオで通常番組をやらないせいで、一般の企業CMが流されず、AC(広告のCM)のコマーシャルばかり流れています。 同じCMが、頻繁に流れることで、逆に不快感が増し、良い内容のCMでも嫌になってしまいます。 それに、もし、被災された方々がテレビを観れたとしたら、被災特番ばかりされてしまうと余計に落ち込んでしまうと思うのです。 当然、自粛するということも大切なことですが、何でもかんでも自粛する風潮は、マイナス要因の方が大きいと思うのです。 何故、こんなことを書くのかと言うと、阪神淡路大震災で被災した神戸の私は、大阪市内で勤めていたので、 関西と言えども、被災した神戸と大阪とは、ギャップは大きかったからです。 震災後、若い女性でも派手な服やミニスカートを身に着ける人はあまり見かけなかったのに、大阪の街中では、隣の神戸で震災で大変な生活をしているのが、信じられないくらいの華やかさだったからです。 当時は、意外と大阪は隣なのに、冷たいなぁと思ったのですが、 今考えると、神戸に対する労りの気持ちはあるけど、どうしても日常のペースに戻ることは仕方ないことであり、大阪が元気であればあるほど、神戸の復興は早くなるのだと感じたのです。 今回の被災者のことを考えると、心が痛み、胸が締め付けられるのは当たり前のことであり、それを取り立てて、言葉にし、酔いしれることは決して善意とは思えないのです。 私自身、以前はテレビで悲しいニュースを報じた後で、涙する人は優しい人だと感じ、泣かない人は冷たいように感じていたから、泣くことを策略とは思わないが、いかにも泣けるような番組作りには嫌悪感を感じるのです。 もらい泣きの輪を広げるより、被災者の将来の為に役立つことを語る方が大切だと思うのです。 阪神淡路大震災の後の復興には世間には知られていない辛い物語は数え切れないぐらいあるのです。 震災後、すぐにオウムの事件が発生し、マスメディアの目は震災からオウムの方に向けられたせいで、そんな辛い人のことは忘れられてしまったような気がするのです。 あっと言う間に、世間の関心は、阪神淡路大震災より、オウム信教になってしまい。 公的な個人支援は結局なされず、震災は過去のものでしかなくなったのです。 だから、マスメディアの中でもテレビというものは、信用し難い風見鶏のようなものに思えてきたのです。 実際、そんなテレビのあり方に、不信感を抱き、テレビを観ない人も増えています。 テレビを批判しつつも、テレビが好きで、テレビの重要性を持ち続けている私は、好きだからこそ、 真正面から批判をしたいと思っています。 それから、民法ラジオのあり方も、もっと中立性を持ち、思想信条に左右されない事実を忠実に伝えることに徹して欲しいのです。 最近は、情にまかせて喜怒哀楽をみせることで、人気を得るパーソナリティも少なくないようですが、特に、アナウンサーは自分のあるべき姿を見つめなおして、中立性を守って言葉を発して欲しいと思います。
by kurukurutomo
| 2011-03-16 22:14
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