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前回、書いた外国人の不法滞在の件ですが、日本人は、外国人労働者が、日本人の仕事を奪い、ヨーロッパのような「外国人労働者受け入れ制度の問題」とダブらせてしまうけど、
今の日本は、それと比べる時限の話ではなく、難民受け入れなど世界の人道的な見解とずれがあるように思えます。 私は、日本の農業や町工場など、供給はあるのに、その仕事を選ばない人や条件が合わず就労出来ないケースがあると思われます。 需要と供給のバランスがとれているならば、外国人労働者を受け入れないというならば、仕方ないと思いますが、今の日本はそうではないと思います。 世の中は、華やかで、汗水流さず大金を得る成功者を称えるような傾向にあり、安い賃金でコツコツと働く者を負け犬(嫌いな言葉です)のように思えるように扱っています。 仕事や結婚において、「勝ち組、負け組」と表現したりして、人の価値観を歪めてきたようにも思えます。 確かに、仕事が見つからなくて困っている人も多くいますが、色んな条件面で、需要と供給のバランスが、崩れて、仕事を選ばなくても仕事が出来ない人がいる反面、農家や町工場は人手不足で苦しんでいます。 実際、農家や町工場は、国が奨励する研修員制度(中国人)を利用する所も多く、研修員とは名ばかりで、この制度を利用し、雇い主の一部は、低賃金、過酷労働で研修者を奴隷のように扱っています。 それに、その中国人研修員は、自国の仲介会社に高額な紹介料を払い、おまけに研修期間の途中で帰国すると、また、高額の保証金を取るのです。 私は、この制度を中国と日本で決めたのだから、両国間で仲介、雇い主に対し、不条理なことをしないように、監督すべきだと思うのです。 これは、両国の行政の怠慢です。そして、日本の町工場の現状をもっと把握し、対策を練るべきです。 研修員制度を利用し、研修員を奴隷のように働かせるのは、許せませんが、下請け工場の上からくる金銭的な締め付けが酷く、いくら資本主義と言っても、ぼろ儲けするところと仕事をしても経営が成り立たないところがあるのは、国がテコ入れする必要があると思います。 話は、外国人労働の話に戻しますが、日本人の多くは外国人が日本に滞在し、仕事をすることに「国益を損なう」とよく言います。 確かに、外国人を受け入れる事は万事OKというわけでなく、多少の弊害もあり、ノーリスクではないと思います。 日本の閉鎖性が、日本を訪れる観光客の少なさを証明しているのかもしれません。 日本は日本だけでやれれば、それでもいいですが、今の現状から見ると、それは到底無理でしょう。 だから、日本はいい部分も悪い部分も含めて国際化する必要があると思うのです。 そもそも「国益」という言葉って、どういうことでしょうか? 私は、少なくとも「国民の利益」ではなく、「国家の利益」だと思うのです。 アメリカは特に国益を最優先する国ですから、国益になるなら、戦争も積極的にやる国です。 日本の過去の歴史の戦争もやはり国益の為に行なわれました。 戦争だけをみても分かるように、国民を不幸にし、国益を守るというのが、国家です。 だから、安易に「国益」という言葉を使ってもらいたくないのです。 私は、敏感すぎるのかもしれませんが、国家の利益を押し付けるのは、全体主義的な感じがして、凄く嫌な雰囲気があります。 一見、「国益」と言えば、良い言葉のように思えますが、国民だけに向けられたものであればいいですが、国家の為という意味なら、考えものです。 それに、その時の「国家」と言っても、必ず、利害関係があり、一部の上層部の利害が絡んで居る場合もあると思うのです。 アメリカを見れば、国家の為といいながら、ライフル協会や軍需産業の利益に繋がる政策、制度も多いと私は思うのです。 日本でも官僚、政治家、大企業優遇制度が、根強く、福祉や低所得者に対する切捨ての行政は、国益って、誰の為なのか、疑問に思います。 このように、一見、良い意味のように思えてもその本質を理解していない言葉って沢山あると思うのです。 私は、流行歌などで、「自分らしく~」という言葉をよく耳にしますが、「自分らしく」って誰が聞いても、前抜きで、いい意味に捉われますが、はたして自分らしくというのは、人によって全然違ってくると思うのです。 もしかしたら、「人を騙しながら生きるのが、その人にとって自分らしい生き方」かもしれないし、「自分らしい」という意味自体が、漠然すぎて、ただ単に使いやすい言葉になっているような気がします。 天邪鬼で、理屈っぽいと言われるでしょうが、そんなことをついつい考えてしまうこの頃です。
by kurukurutomo
| 2009-03-15 11:43
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